大人達が刷り込まれてきたこと。

生き方

昨日、ファミレスで見かけた光景。

近くの大きなテーブルで、2〜3組のママ友と子どもたちが夕飯を食べていました。(とても楽しそうな雰囲気でした✨)

そろそろ帰るよ、となった時。

ひとりの男の子(おそらく小学校低学年)は帰りたくなかったみたいで、
今までニコニコしていたのに急に
「楽しくなかった!来なきゃよかった!」
と言って不機嫌になっていました。

その子のお母さんは他の人の手前、少し焦って、
「なんでそんなこと言うの?楽しかったでしょ?また今度来ようね。」
と言ってて。でも男の子は「やだ!」…
以下繰り返し、という…🥲

所々聞こえてくる一連の流れを見ていて、
『なるほどな、こういう場面って人生で沢山あるよなぁ…』
と感じました。

(とらわれない自由な絵)

学校など人が育つ過程で、場を丸く収めることや、ひとつひとつの場面が滞りなく、全体としてスムーズに進むことに重きが置かれることって多いと思います。

だから、全体の流れと違う方向に動く人に、
「そんな風に言わないで(やらないで/表現しないで)」
「一緒にこんな風にやろうよ(多数派に合わせてよ)」
と言って、全体に合わせることを求める。
それができる子は褒められるし。

でもそういった様々なメッセージの本質って、

あなた個人より全体が大事

って、繰り返し伝え続けてるのと同じだなって。

大人が、その考え方にどっぷり浸かってるんだなって、感じたんです。

(私は個人的にこのお母さんや、今の教育過程をどうこう責める気持ちは微塵もありません。今の大人は、繰り返しそうやって刷り込まれてきたよね、という話。)

仕事中に、水分補給やトイレを後回しにしがちなのも、

自分の気持ちを抑えて、やりたくない事を毎日我慢して頑張っちゃうのも、

『周りに合わせないといけない』
『自分よりも他人を大事にしないといけない』
『私は取るに足らない存在だ』

… こんな強烈な思い込み(刷り込み)があるからだなぁ、って。

でも、子どもたちに本当に伝えたいのは、

あなたはかけがえのない存在だよ

自分らしさを大切にしよう

っていうメッセージなはず。

だから、まず大人がそういった思い込みから自由になって、心からそう思えるようになることが大切だなって思います。

自分を本当に大切に感じられて、心が自由を感じられていたら、周りの人が自由にするのを許せるはず。

『私はこうだけど、きみはそうなんだね。』って、落ち着いた気持ちで受け止められる。違いに不安になったり、怒りが湧いたりしない。

そんな世界だったら、もっと生き生きして楽しそうな人が増えるんじゃないかなって、思っています。

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