他人ではなく、“自分の”許しが必要。

気づき

私たちは時に、知らないうちに、自分に色々なものを課してしまいます。
仕事や、家庭での役割など、さまざまな場面で引き受けすぎてしまうのです。

嫌と言えずに、我慢して自分をすり減らしながら耐え、なんとか形を保とうとすることがあります。

断れない理由は、「こうするのが正しい」という長年教わってきた善悪の観念によるものや、
「そうしなかったら冷たい人だと思われる」、
「自分が悪者になりたくない」

もしくは「そんな事もできないと思われたくない」という、見栄の場合もあるでしょう。

さらに根底には、「自分にはできない/やりたくない」と認めることに対する、罪悪感があるんですよね。



ゆったりと生きる快適さ、心地よさ、自分の健康、何をどこまでどんな風にしたいのか選ぶ権利を、自分が自分に与えられていないということ。

そうして限界まで我慢して、耐えきれなくなって感情が爆発したり、体調を崩したり、「どうして自分にこんな事をさせるのか」と、相手や周りの人を非難したりしてしまう。

でもそれは、相手があなたにさせているのではなく、自分が自分にさせているのです。

許すのは自分しかいない

先日、70代の男性患者さんで、こんな方がいました。

お義母さまが亡くなり、その後ご自身の奥様も怪我をされたため、残されたお義父さまの身の回りの世話をしに、毎日遠くの街まで通われているとの事でした。

毎日のストレスや疲れが原因で、帯状疱疹になってしまったよ、と話しておられました。

この方を見て、なんだかとても切なくなりました。

もちろん、それぞれ色々な事情がある事は百も承知ですが、まず自分が自分を幸せにしていなければ、たとえ良かれと思ってしたことでも、周囲の人を幸せにはできないという事を、私は身を持って知っているからです。

私が職場でも家庭でも、実家の問題でも、何でもかんでも
「壊れた人間関係や問題は、私が直さなくてはいけない!」
と思って抱え込んでいた頃。

問題は改善するどころかどんどん大きくなっていったし、周りの人達は、幸せとは懸け離れた状態になっていきました。

「私が直さなくてはいけない」世界が、どんどん拡大していったのです。

夫はいつも「いつでも仕事辞めていいんだよ」と言ってくれていたのに、私はそれを受け入れられませんでした。

「まだできる」「もう少しがんばれる」⋯

そう言って、無理し続けたのです。

解放されたのは、自分が「もうできない」と認めた時でした。

できない自分を、自分が許すしか無いのです。
ほかの誰でもない、自分自身が“そうしていいんだ”と許可すること。
その勇気を持つしか無い。
自分に、自由と幸せを許すこと。
自分の内に無いものは、与えようが無いのですから。

自分が何とかすることを諦め、ふと顔を上げた時に、方法は1つではなかった事を知るのです。

☆☆☆

最近、益々たくさんの気づきがあるのですが、それを言葉にするのがとても難しいです⋯。

読んでくださった方に、心からの愛を送ります。

今日も、あなたに健康と、穏やかな幸せがありますように。

それではまた。

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