自分を縛る常識はどこからきたもの?違う世界へ引っ越しを決めた。

自分が持っている常識って本当に、世界から見たらほんの一部の人のもの。本当は、世界には色んなレベルの常識が存在している。

それを自分が好きかどうか、他にどんな価値観があるか等を知らずに、ただ世界はそういうものだと信じて、目の前の常識を採用してしまっていただけ。
選べないと思い込んでいた。これまでの私はそうでした。

先日実家に帰省しました。

父も母も70代ですがまだまだ元気で、若い時のようには行きませんが、今も仕事をしています。

それを見て、(ゴロゴロ休みたくて仕方ない)私とは違うなぁ、彼らは凄いなぁ、と単純に感心しました。

自宅で自分達で事業をしているのですが、若い頃は本当に朝から晩まで働いていて、私も子供の頃から仕事を手伝ったりしていました。

自宅が仕事場なので、休日などの感覚が無く、平日の夜も週末も、いつまででも仕事が出来てしまいます。我が家では昔から祖父母も両親も、毎日休むこと無く働いていました。

戦後〜バブルの影響もあり、祖父の代からかなり稼いでいたので、田舎にしては金銭的に裕福な家でした。

ただ大人が朝から晩まで働いているので、子供ながら自分が家で休んでいると何か悪いことをしている様な感覚になりました。自分も何かしなくては、働かなくてはと無意識に思ってしまい、自宅でのんびりするのが難しかったです。

「お金を稼ぐと、生活が忙しくなる。人生が仕事で埋め尽くされる。」

という思い込みが、無意識に自分の中に出来ていきました。

田舎にしてはまあまあ裕福だったので、父は自分の趣味にもかなりお金をかけていました。高級車やバイク、ゴルフなど周囲から見てもお金をかけているとわかるものが多かったです。

田舎なので金回りがいいと目立ち、それをよく思わない人も沢山いました。陰口を言う人も多く見てきました。

それを見ていて、子供ながら、

「好きなことをすると叩かれる。目立たないようにする方が、周囲から色々言われないで済む。」

と思うようになりました。

でも今思えば、父は自分で稼いだお金を好きな様に使っていただけで、何も悪いことをしていた訳では無いのです。(父の尖った性格も、色々言われる原因だったとは思いますが)

むしろ、少しずつ色々な枠が外れてきた今の私から見たら、好きな事に思いっきりお金をつかえるなんて凄いじゃん、父やるじゃん!と尊敬します。

でもあの頃は、それは贅沢だとか、あんな事して、とか色々言ってくる周囲が怖かったので…そう言われ無いように、世間からどう見られるかを気にするようになっていったんだと思います。

でも、です。

欲しいものを手に入れていく人生の方が、私は良いです。

どうせ手に入らないと諦めて、初めから欲しくなんて無かったよ、という振りをするより、傍からは到底無理に見えたとしても、
「それが欲しい!!」
と求めていきたい。

そして、仕事も、家族も、自分自身も全部大切にして、豊かに生きていく方法がきっとあるはず。

それは、贅沢なんかでは決して無いと思います。

親からの常識をそのまま採用して生きる義務なんて無い。いいと思うものもあるし、自分には合わないものもある。全然自分で選んでいいと思うのです。

だって、自分に正直になっていかなかったら、それはもう自分の人生じゃない。

本音だと思っていることでさえ、実はこうしなきゃという常識に縛られていたりして、自分の本音を見つけるのは難しい…けど。

これからは、自分が幸せに生きていける常識の中に、自分を置いてあげよう…

そう思います。

今日も良い1日を☆

それではまた。

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